別名、初誕生祝い(はつたんじょういわい)ともいい、 赤ちゃんが満1歳を迎えた時にその誕生日を祝う行事です。 日本では、昔はお正月に年を取る、「数え年」という考え方が 主流でした。 そのため、誕生日をお祝いする習わしがありませんでしたが、 赤ちゃんが誕生して1年目だけは、特別に親戚縁者を招いて 盛大な初誕生祝いを行ったようです。 昔は十分な食料がなく、慢性的に栄養不足の状態の赤ちゃんが たくさんいました。 そのため赤ちゃんは病気になりやすかったのですが、 十分にお金がないため、病気になっても適切な医療が受けられずに 1歳前になくなってしまう事がよくありました。 ですから、初誕生祝いとは、1歳まで元気に生きられたという 喜びや感謝の気持ちをこめて、また今後無事に成長することを 願ってお祝いするとても大切な儀式だったのです。 一升餅(一生餅)、立ち餅、餅踏み(踏み餅)、背負餅、転び餅などが 有名ですし、将来赤ちゃんがどんな職業につくかを占う選び取りもあります。
「初節句」の由来と歴史
誕生後、赤ちゃんの無事な成長と厄除けを願って初めての節句にお祝いをするようになったのは、 女の子は3月3日の「上巳(じょうし)の節句」で、 平安時代から始まり江戸時代には祝日とされ町民も参加するようになりました。 「上巳の節句」は、脱皮をして生まれ変わるヘビ(巳)にちなんで、心身を洗い清めるという意味の行事です。 男の子は鎌倉時代から5月5日の「端午の節句」を初節句とし、江戸時代には祝日となり、 現在では「子どもの日」となっています。
女の子の「初節句」(桃の節句
3月3日の女の子の初節句を「桃の節句」と呼びます。 古代中国では、桃は邪気を祓って健康を保つと いわれたことから「桃の節句」の名がつきました。 紙や土で作った人形の体をなでて、けがれを人形に 移し、それを川や海に流して邪気を祓った風習で、 雛人形の形が整えられたのは1400年前の聖徳太子の 時代からで平安時代には装飾的な装いになり、 室町時代には女の子の祝い事として貴族の間で女の子の 成長と良縁を願って雛人形を飾るようになりました。
男の子の「初節句」(五月の節句)
5月5日の男の子の節句「端午の節句」は、「五月の節句」とも呼ばれます。 男の子の健やかな成長を祝い、鯉のぼりを揚げ、鎧兜や武者人形といった 五月人形を飾り菖蒲湯に浸かって、柏餅やちまきを食べて祝います。 「端午」とは5月のはじめの午(うま)の日を指していましたが「午」と 「五」の音が同じなので、5月5日が「端午の節句」となり、奈良時代 以降に定着しました。 男の子の成長を祝うようになったのは、江戸時代以降で、 厄よけに使用する「菖蒲」と「尚武」(武道・武勇を重んじること)にかけ、 武家の間で「尚武の節句」として盛んになりました。
お祝いの仕方
「初節句」のお祝いは、 女の子の節句のお祝いでは 雛人形は母方の祖父母が贈ります。 男の子の節句のお祝いでは、 鎧兜、武者人形は父方の祖父母が贈ります。 地方によっては、鯉のぼりは父方からで、五月人形は母方から贈るところもあります。 現代では、両家で贈ったり、親と祖父母たちが相談しあってお祝いすることも多くなっています。
お返しのマナー
「節句」は元来“特定の日に神様と人が食を共にする”という「節供」から来ています。 そのため、昔は親戚や親しい人を招いて盛大に行う食事会でした。 「初節句」のお祝いの膳を用意して食事会などのお披露目会を催す場合は、その場に招待することがお返しとなります。 帰りに手土産程度の心ばかりのお礼の品を渡す方もあります。 食事会に参加できない方には、いただいたお祝いやお祝い金の三分の一から半額程度がマナーです。 一般的には、菓子折りや日用品セットに加え「柏餅」や「ひなあられ」などをプラスしてお礼状を添えてお返しします。 今では便利なカタログギフトなどもあります。
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